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読むと変な匂いがします。

小人の話

今日仕事中に考えた短編です。グロ注意!

 

 最近、気がつくと左目だけでものを見ていることが多い。おかげで遠近感がまるで掴めず、階段を踏み外し、電柱に当たり、道ゆく人の顔はまるで絵画のように皆のっぺりとしていた。辛うじて右目を開くことはできるものの、少し力を抜けば上の瞼がスルスルと下がってしまい下の瞼とピタリと貝殻を合わせてしまう。その動きがなんだか面白くて1時間ほど右目を開けたり閉じたりして1人遊んでいると、偶然私はあることに気がついた。

 右目には小さな小人が2人住んでいたのである。緑の三角帽を被った小人たちは私の網膜をねぐらとしているようだ。喉が乾けば水晶体の水をすすり、腹が空けば角膜を少しずつ切り崩して食べ、そして夜には虹色に輝く光彩に酔いしれながら硝子体の中で2人並んでスヤスヤと寝息を立てていた。小さな彼らが内部で何をしようと、それは些細な出来事に過ぎず、私の右目は全くの健康体である。ただし、彼らはプライベートを大切にする気質のようで、外から自分たちの生活がありありと見えてしまうことをひどく嫌った。ゆえに、彼らは『瞼』という名のシャッターを常にぴしゃりと下ろしたがるのだ。まさにそれが私を苦しめる原因に他ならなかった。

 この事実は私をひどく困らせる。私は生来争いや諍いを嫌う平和主義者であり、長年6畳の小さな部屋で共に過ごした弟や妹たちとでさえ一遍たりとも喧嘩をしたことがなかった。その性格はたとえ小人相手でも変わるものではなく、自らの生きやすさのために幸せな小人から家を奪い路頭に迷わせるのは心臓の奥がズキリズキリと痛む選択なのである。

 そこで、私は小人たちに右目をくれてやることにした。一昨日ショートケーキを食べた際に使ったフォークを右目の下にぬるりと滑り込ませる。球体を傷つけないように気をつけながら、少しずつ奥に差し込む。鋭利なフォークの先が動くたびにブチブチと視神経の切れる音とカメラのフラッシュのような明滅が、脳幹の辺りで何度も繰り返される。私はいつの日か母親に連れられて行った歓楽街のネオンサインを思い出していた。チカチカとまぶしく光る看板の下で、母親は右手で私の手を力強く握り、左手で小瓶の酒をラッパ飲みしていた。はて、あの時母親はなんと言っていたか…

 1分ほどかかったが、なんとか右目をそのまま綺麗に取り出すことに成功する。私の右目は完璧な球体を保ったままキュポリと眼孔から飛び出して、少しだけ周りに粘液を撒き散らした。粘液のせいなのか、右目はフォークの上でクルクルと回り続けている。

 私は右目を乗せたまま、そっとフォークを机の上に置いた。そして、その上からティッシュを一枚そっと被せてやる。よしよし、これで小人は私に気兼ねすることなく彼らの人生を謳歌することができるだろう。私はスキップで洗面所に向かい、鏡で自分の顔を見つめてみた。大きな穴の空いた私の顔は満面の笑顔だった。私がケラケラと笑い声を上げるたびに洞窟の奥のほうでは赤色と黄色の液がポンポンと跳ね上がる。その様子が面白くて、私は日が暮れて自分の顔が見えなくなるまで洗面台に齧り付いていた。


ケラケラケラケラ

ポンポンポンポン

ケラケラケラケラ

ポンポンポンポン


 今も机の上にはティッシュを被った私の目玉が置いてある。小人たちは今日も並んで寝ているはずだ。